我が国の人事賃金制度の変遷

戦前の賃金

戦前は、一部のホワイトカラーには固定の月給制が採用されていたものの、大半の労働者である職工(ブルーカラー)層は、日給あるいは出来高給でした。イメージ的に言えば、正社員の現場労働者(常傭工と言われた)が日給、臨時工が出来高給という構図です。
日給や出来高給ですと、当然ながら安定感に欠けるため、それを補う形として出勤奨励加給、年功加給、皆勤手当などの諸手当も出されていたようです。また、出来高給についても、最低保証額は決められていました。しかし、それでも生活をする上では、安心感をもてる賃金体系とは言えないものでした。

戦後の賃金

終戦直後はハイパーインフレにより、国民の生活は混乱し、経済は非常に不安定なものとなりました。こうした中、労働組合運動が活発となり、賃金は労使間闘争の最大のテーマとなっていき、「賃金額の決定は、生計費を根拠にすべきだ」という労働組合の主張が浸透していきます。この生活保障のための賃金体型は、電産型賃金と呼ばれています。電力会社の企業内組合の連合会である日本電気産業労働組合協議会(電産協)が主導したことからこの名がついています。この電産型賃金が浸透していく中で、ブルーカラーの給与も、日給、出来高給から、月額固定給にシフトしていきます。
また、戦後はGHQの指導に基づき、アメリカ型職務給の導入が図られました。鉄鋼など一部の産業では、職務給の導入、定着を試みていきます。職務給とは、職務等級制度に基づく給与体系であり、基本は職務を課業単位で整理し、それぞれの課業に対価をつけていくという考え方であり、「職務に人をつける」という発想がベースとなります。しかしながら「人に職務をつける」発想が染みついた日本では、結果として定着することはありませんでした。

昭和30年代〜オイルショック

経済成長が進むにつれ、生活も安定してくると、賃金も生活給的な色合いから、仕事に対して支払うという流れに代わっていきます。その際の中心的な基準は「職階」でした。これは公務員や一部の大企業のホワイトカラーにおいては戦前から採用されていた捉え方であり、それがブルーカラーも巻き込んで職階連動基本給という一つの体系になっていきました。この賃金体系は、役職≒職階と賃金を緩やかに連動させたものです。ただし、部長、課長というポスト自体に給与額を値付けするというものではなく、例えば、課長は「主事」、部長は「参与」といった資格をもつものが就くという建前とし、この「主事」「参与」という資格に対して対価を支給するという形式をとるものです。この職階連動基本給は、その後の我が国の賃金体系の基盤を作ったと言えるものです。

低成長期〜バブル最盛期

高度成長期には、売上が右肩上がりで伸びていったので、人件費が増加しても全く問題にはなりませんでしたが、オイルショック後に経済が低成長期となっていくと、人件費は企業業績に大きく影響するようになっていきます。
また、昭和40年代くらいまでは、戦後ベビーブーマーたちが若手の労働力となっていたことから、労務構成がピラミッド型(中高齢層が少なく若い年齢層が多い年齢構成)を維持することができていましたが、その後労務構成が変化していき、30代、40代がボリュームを持つ形になっていくにつれ、役職・ポストが不足していき、職階制は機能しづらくなってきます。こうした背景の中、昭和50年代以降に登場したのが職能資格制度です。
職能資格制度は、楠田丘が提唱した我が国独自の賃金理論であり、職能資格等級によって従業員の職務能力を格付けし、それに見合った処遇をしていきます。管理職、役職に就かなくても専門的な職務能力が高ければ管理職と同等かそれ以上の高い処遇が保証されるという考え方の制度です。能力という個々人の属性に賃金(=職能給)を連動させるものなので、 「人に職務をつける」発想の日本人的な働き方には、フィットするものでした。
また、楠田理論では、職能給と合わせて生活保障としての年齢給をセットで設計するという思想をもち、戦後からの電産型賃金=生活保障給という流れも採り入れたものとなっており、インセンティブと安定性のバランスを考慮した賃金体系となっています。
職能資格制度は、バブル経済最盛期ごろまで、大企業を中心として日本の賃金体系の主流となっていきました。

バブル崩壊後〜現在

バルブ経済が崩壊すると、多くの企業は、業績が悪化していき従来通りの人件費を支えることができなくなりました。こうした中で、年齢給/職能給という枠組みの職能資格制度は行き詰まりをみせます。役職なしの専門職でもしっかりと処遇をするという思想からくる職能給は、どうしても勤続に従って賃金額が上がっていく、つまり年功的賃金の要素を強くもつところがあり、人件費を削減したいという経営ニーズとそぐわなくなったのです。
このようなことから、職能給は徐々に見直しがされていきます。そこでは2つの方向性がありました。一つは職務給の再登場です。戦後GHQ指導の下では、挫折をした職務給ですが、アメリカ系のコンサルティング会社中心にジョブサイズという概念により、日本の大企業でも改めて導入するところが出てきまいた。しかし、やはり日本的風土にマッチしないということから、現時点に至るまで、職務給で成功をおさめたという会社はあまり見受けられないのが現状です。
もうひとつは、役割給の導入です。職務給/職務等級制度は、緻密な職務分析が前提になりますが、この職務分析を荒削りにして、大きく括った考え方を基本として考え出されたのが、役割等級制度になります。役割等級制度は、ある程度のアバウトさを許容し、例えば課長クラスの役割、部長クラスの役割という程度に大きく捉えていきます。実は、この役割等級制度は、かつての職階制度をバックボーンにもちます。したがって、職務給と違って日本の労使関係上での相性は良く、大企業から中小企業まで、採用をしているところは多くなっています。また、職能給と役割給の併用をしているところも多々あります。職能給自体も完全に廃れたわけではなく、特に下位層では、やはり職能給がフィットすると捉えて、採用している会社は多数あります。
一方、平成以降に盛んにクローズアップされてきたのが、成果主義人事体系です。業績などの顕在的成果をベースに処遇を決めるものです。これもアメリカ的な思想に基づくものと言われていますが、最近は反動で行きすぎた成果主義に対する批判の声も多く聞かれています。