古い組織と新しい組織②

私は三越という百貨店企業に勤務していた。三越は三井越後屋の略称である。創業は延宝元年(1673年)である。これは四代将軍徳川家綱の御代である。越後屋は三井家の開祖である三井高利が、江戸駿河町に開いた呉服商である。当時、売掛、定価なしということが商慣習であった中「現金掛け値なし」ということをスローガンとして、流通改革を断行した。当初は同業からのいやがらせなど不当な圧力を相当に受けたようだ。しかしそれにめげずに頑張り、革新的な商売を続けていき、その後の繁栄を築いていく。

しかし、江戸から明治に時代が変遷していくと、環境が激変し、呉服商としては立ち行かなくなる。三井本家からも見放され、潰れる寸前まで追い込まれる。この後、三井銀行から経営者が派遣され、業態変革がなされることとなる。商号も「三越」と改められる。明治37年に当時のトップ日比翁助は「デパートメントストア宣言」なるものを公表する。これは欧米のデパートメントストアに倣い、わが国でも世間に流通する全ての商品を一堂に揃える店を作っていくという意思表明であり、当時の状況を鑑みると画期的なことであった。これが、今日でいうところの「百貨店」の誕生となっていく。これが実質的第二の創業となる。三越は、その後、店舗の仕組み、設備(日本初のエスカレーター設置など)、販売促進方法など、革新的な取り組みを進めていく。更に、昭和になってから「ナショナルチェーン構想」に基づく、多店舗展開を進めていき、企業基盤を固めていく。

このように、三越という企業は過去を振り返っていくと、革新の歴史であった。だからこそ、300年以上の期間、存続し続けることができたのだと思う。

しかしながら、やはり、歴史が古い、古い組織としての問題点も、時を経るにつれ山積されていく。