私の母校である早稲田小学校前の路地を弁天町方向に100メートル程度行ったところに漱石公園がある。この公園内に「猫塚」と言われている石積みの塔がある。漱石が著したものの中で最も著名な作品と言えば「吾輩は猫である」ということで異論はないだろう。猫の視点で人間を描いた独特の作風で、多くの人を魅了してきた作品だ。漱石がこの作品のモデルとなった猫を飼っていたことも事実である。私自身、「吾輩は猫である」モデルとなった猫の墓が猫塚であると子供のころは信じていた。ただ実際のところは、猫塚はモデルの猫の墓ではない。これは漱石が亡くなった後に遺族が漱石の飼っていた犬、猫、小鳥などの供養にということで建立したものであり、現在のそれは、その復元したものであるようだ。この漱石公園は、「漱石山房」とよばれた漱石の住まい跡である。漱石はここで「三四郎」「それから」「門」など多くの代表作を書き、そしてこの地で大正5年に亡くなっている。ここがいわゆる終焉の地ということになる。誕生も早稲田、終焉も早稲田ということで、夏目漱石は間違いなく早稲田の地が生んだ最大の著名人であろう。