箱根山

戸山が原の中央に位置する小高い丘のことを「箱根山」という。ここは江戸時代、尾張徳川家の下屋敷があったところだ。江戸で一番広大な屋敷であったという。尾張藩では、酔狂なことに、この土地の中に、東海道53次の景色を摸した造園を作っていった。そして、築山かもともとあった丘なのか分からないが、「箱根山」と名付けられ、その呼称が今日まで及んでいるわけである。

この下屋敷あとは、明治以降、陸軍の演習場となっていく。そして、この箱根山の頂上には、高角砲が設けられる。太平洋戦争末期にB29が各地を空襲をするが、牛込は昭和20年5月25日に大空襲に遭う。この時、この箱根山の高角砲にまつわるエピソードを亡くなった祖父から聞いている。

あのときは、B29の編隊が来たが、空襲は軽めに済んで、一旦帰りかけたそうである。しかし、この箱根山の高角砲が、日頃は精度も低く命中しないのに、このときばかりはたまたま、B29一機に当たり、墜落をさせた。これが照明の役割を果たすことになり、帰りかけの編隊が再び戻ってきて、その後、集中的に焼夷弾投下がされ、焼け野原になったというのだ。本当かどうかはわからない。でも話としては良くできている。