牛込の由来は、室町期に牛込氏が居城していたところからきていると思われがちだが、この牛込氏の先祖である大胡氏がこの地に移り住み地名を姓にしたということだから、それ以前から地名として存在したのは間違いない。どうも大昔にウシの牧場があったからのようだ。東京には似たような地名として、馬込、駒込などがあるが、これらも馬の牧場という意味であり、これと同義の地名ということが推測できる。
牛込という名称が確固たる地位を獲得したのは、明治維新後に東京の区政編成で明治11年に「牛込区」となったときだといえるだろう。このとき東京市では15区制であった。
ちなみに他の14区を列挙すると、麹町区、神田区、日本橋区、京橋区、赤坂区、芝区、麻布区、四谷区、小石川区、本郷区、下谷区、浅草区、本所区、深川区であり、このエリアは現在の区制でいえば、千代田区、中央区、港区、文京区、台東区と新宿区の一部、墨田区の一部、江東区の一部ということになる。現新宿区では、牛込区と四谷区しか入っておらず、後に淀橋区となるエリアはこの時点では東京市ではない。明治前期には新宿は東京ではなかったわけだ。この違いを古い世代では強く意識しており、生まれたときから牛込に住んでいる私の母親や祖父などは、「新宿と一緒にしないで欲しい」というようなことをよく言っていた記憶がある。ものの本によれば、牛込区、四谷区が淀橋区と合併して新宿区になったときに、牛込や四谷からは「なぜ新宿区なのだ」と反対運動が起きたそうだから、かなりの強いこだわりだったのであろう。都庁が西新宿にある現在では隔世の感があるが・・・。