「ドラゴン桜」に見る格差社会と学歴

このクール(2021年4月~6月)のTVドラマは非常に面白くて粒ぞろいだった。中でもやはり「ドラゴン桜」は前作同様秀逸なできだった。
今回は前回以上に経済格差と学歴の関連性を意識したものとなっている。
産業のソフト化に伴い、20~30年前と比べると経済格差が驚くほど広がっている。少し前では日本の経済格差は小泉=竹中ラインの経済政策によるものという声も多かったが、実際はそうではなく、フランスの経済学者ピケティも唱えている通り、これは世界的潮流と捉えるべきもので、産業が情報化、ソフト化してナレッジワーカーと非ナレッジワーカーの間の所得格差が増大したことによるところが大きい。そして、この格差については、わが国では公的年金の脆弱性(つまり公助の比率が低下すること)と相まって、将来に向けてより拡大してしまいそうなことが予見される。
こうした課題に対しては、まさに政治が真正面から受け止めリーダーシップを発揮して対処すべきところであろうが、若者の多くは、政治がそれを解決してくれるはずはないと悲観的に捉えているように思われる。政府や自治体、そして民間の大企業も含めて、従来的大組織が構造的に病んでいることを見透かしている今の優秀な若者たちには、自分たちのことは他者に依存せず自分たちで決着するというリアリズムが浸透している。そして将来の経済的自立を求めるためには高学歴を掴みとることが確率論的に有利に働く、そんな考え方がこのドラマのバックボーンになっている。
そういった意味ではこの「ドラゴン桜」は、”東大”という高学歴のシンボルを効果的に取り上げて、一時期(多分バブルのころ)には多少影を潜めていた「学歴社会」が、経済格差が広がってくる中で完全に復活してきていることをほのめかしたドラマであり、その辺りが誠に興味深いものとなっていった。